米国J-1ビザ取得TIPS

先日,アメリカのビザを取得しました.私は大学の客員研究員としてアメリカに赴任するので,ビザは「交流訪問者ビザ(J-1)」というやつです.

ビザ申請に関してはアメリカ大使館のサイトを見れば書いてあるのでそれに従うのが基本ですが,私が手続き上ちょっと迷ったこと,失敗したこと,気がついたこと,を書いておきます.同じような立場の人の参考になれば,と思います.

ただし,正確性は当然保証できませんのでご注意ください.あくまで私の体験談です.

DS-160の印刷はリーガルサイズでなくて良い

「確認ページはプリンターオプションでペーパーサイズをリーガル(Legal)に設定の上印刷してください。」と書いてありますが,普通無いだろってことでA4で印刷しました.特に何も言われませんでした.バーコードがちゃんと見えれば問題ないのではないかと思います.

企業からの派遣の場合成績証明書は不要,会社からの推薦状でOK

これは旅行代理店の人に教えてもらいました.

ここには,「過去5年間に米国留学の経験がある方は、その期間に在籍していた米国の学校から成績証明書を入手してください。米国留学経験がない場合は、最終学歴の最後3年分の成績証明書を日本あるいは米国以外の学校から入手し提出してください。」とありますが,私は出しませんでした.

その代わり,会社から大使館宛の推薦状を添付しました.内容は,名前と肩書き,滞在目的,出発予定日,滞在期間,米国連絡先(大学),それから会社が渡航費用や滞在費用を全部持つという文言と,それなりに偉い人の署名です.

レターパック500は人数分は不要

家族のJ-2ビザを同時に申請する場合,宛先が同じなら,レターパック500は1つで構いません.念のため人数分持って行きましたが,その場で要らないと言われました.

ちなみに,余ったレターパックは,買うのを忘れて外の郵便局に買いに行けと言われた人が一人いたので,その場で譲ってあげました.

SEVIS費用は面接の3営業日前までに支払う

これはここに書いてあるのですが,面接までにやれば良いと思って,ギリギリまで見落としてました.4営業日前に支払って,領収書はブラウザ画面の印刷でOKでした.ちゃんとした領収書は後から郵送してもらえますが,ビザ面接には不要でした.

DS-2019に署名しておく

受付で指摘されて,その場で署名しました.実は署名欄があることに気がついておらず,いきなり言われて焦りました.

早めに行く

大使館の前に,ビザ申請待ちの人がずらっと並んで待っていました.面接時刻を過ぎてから中に入ったので,多少遅れても特に問題は無いとは思いますが,早め(面接時刻の45分〜1時間前ぐらい)に行くことをお勧めします.

中で本を読むのは難しい

ここには,「1.5〜2時間程お待ちいただかなければなりませんので、雑誌など読み物をお持ちいただいて結構です。」などと書いてありますが,集中して読書するのは難しいです.

なぜかと言うと,呼び出しが必ずしも番号順でなく,ディスプレイに自分の番号が表示されたらすぐに窓口に行かなければならないためです.待ちの番号の表示と言うものがないため,自分がいつ呼ばれるのか全くわかりません.そのため表示が変わる電子音が鳴るたびに(1分に1〜3回ぐらい鳴る感じ)ディスプレイに目をやらねばならず,全く集中できませんでした.もうちょっとどうにかして欲しいと思います.


こんなところです.ちなみに面接(インタビュー)そのものは超ぬるかったです.単なる事務手続きでした.

アメリカでの英語勉強法について

渡米にあたり,現地では環境を活かして英語の勉強をしたい,と思うのですが,さて具体的にどうするかというと,まだ決めてません.


無論,仕事上のコミュニケーションでは英語を使いますし,生活する上でも英語が必要なので,実践で学ぶということはできると思います.ただし,そういう「必要に迫られて使う英語」だけでは,上達しない気がするのです.もっと積極的に,英語力を向上させるための勉強をしないともったいないと思っています.


まず,大学では ESL のクラスが幾つか開講されているようです.レベル的に自分に合うクラスを見つけるのは時間がかかるかも知れませんが,何事も経験して損は無いので,色々と受けてみようと思います.


それとは別に,やろうかな,と思っているのは,Language Exchange です.以前,別の大学に行っていた先輩が実行していました.私はどうも人付き合いが苦手なので,相手を探すこと自体ハードルが高いのですが,それも含めて勉強だと考えれば良いかなと思っています.(できれば大学内と大学外,両方で探したい.)


まあ,一番大事なのは本業ですので,本業の負担にならない範囲で,臨機応変に勉強をして行きたいと考えています.

アメリカに赴任することになりました

英語で話す俺,というこのブログのタイトルは,そういう状態になれるといいな,つまりいつか自分が英語で話せるようになるといいな,という思いを込めて決めたのですが,自分が思い描いていたように英語を話すようになっているかどうかとは別に,少なくとも,日常的に英語を話す生活を送らないといけないことになりました.


つまりはこの記事のタイトル通りです.今秋からアメリカの某大学に客員研究員として赴任することになりました.ここ最近は,その準備と,それまでにケリを付けておかなければならない国内の仕事で,日々を大変忙しく過ごしています.


「このブログの勉強法に従って英語を勉強してきたおかげで,英語力が向上し,念願だった海外赴任ができることになりました!」と単純に言えればこのブログとしては格好がつくような気もするのですが,私の英語力そのものがこの赴任の決定に与えた影響は正直なところさほど大きくはなく,また海外赴任も念願だったかと問われるといささか心許なく,何より自分の英語力が自分の理想にはまだまだ程遠いことを私はよくわかっています.


なので,環境が変わっても英語の勉強は今まで通り,いや今まで以上に続けようと考えています.アメリカに行けば英語は自然にうまくなる,などとは思っていません.ただ,勉強の仕方などは環境を活かして工夫をしていきたいです.具体的にどうするかは,まだ考えていませんが.

スマートフォンのチェックはほどほどに

土曜の夜,友人たちとの待ち望んだ夕食の席でのことだ.おしゃべりの途中,私は自分の右手が体からコソコソと離れて行き,テーブルに置いてあった携帯を掴んで,メールをチェックしているのに気がついた.


「私は一体何をしているのか?」


そう思った.


「土曜の夜,友だちと一緒にいて,メールをチェックする必要なんてないのに」


恐ろしいのは,私は意識して携帯に手を伸ばしたのではないということだ.まるで手が自分の意志でそうしているかのようだった.自分に一体何が起こっているのか,「パーソナル・アンド・ユビキタス・コンピューティング」に載っていた研究を読むまでわからなかった.私だけではなかった.実際,この問題はユビキタスな(どこでも見られる)ようだ.


著者らは,スマートフォンの利用者は,「チェック中毒」にかかっていると言う.メールやフェースブックなどを繰り返しチェックしてしまうのだ.通常,1回のチェックには30秒もかからないが,10分と経たずにまたチェックしてしまう.


この研究の被験者たちは,平均すると一日34回スマートフォンをチェックしていた.必ずしもそんなに多くチェックする必然性はなく,中毒や衝動がその理由であった.


「これは極めてよく見られ,かつ避けるのが難しい現象です」


カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校の神経科学者,ローレン・フランクは言う.


「チェックしていることを意識しないこともあります.無意識での振る舞いなのです」

Do you obsessively check your smartphone? - CNN.com

かつて携帯電話先進国と呼ばれた日本では「ケータイ依存症」などという言葉が流行りましたが,スマートフォンが普及することで米国でもそんな状況が見られているようです.


対策としては,(1)問題を抱えているという事実を認め,(2)数時間(無理なら10分だけでも)スマートフォンから離れてみる,(3)スマートフォンを持ち込まない場所を決める,という3つが提示されています.


私も,空き時間があるとツイッターをチェックするのが癖になっており,最近,例えば本を読む時間などが目に見えて減っているのを自覚してます.ちょっとばかり自重しようかな,と思います.

can, may, must と「〜できる」「〜してもよい」「〜しなければならない」

英語の歴史―過去から未来への物語 (中公新書)」という非常に面白い本の中に,所謂「法助動詞」の中の can, may, must の3つに触れている箇所があります.


これらの助動詞は,それぞれが似たような複数の意味を持っていて,英語学習者にとっては混乱の元となっています.受験勉強で苦労した記憶がある方も多いのではないでしょうか.


本書の記述は,そこに新しい視点を与えてくれます.私は目から鱗が落ちるような思いを味わえたので,ここに書いてみようと思います.


まずは,can, may, must それぞれの,意味の変化についてです.

can

can の元々の意味は,「知る,知っている」.She can speak English. は,「彼女は英語の話し方を知っている」という意味でした.そこから,「彼女は英語が話せる」,つまり「〜できる」<能力・可能>を表すようになりました.

その後,can は「〜してもよい」<許可>の意味でも使われるようになります.さらに現代では,例えば You can go with us. (一緒に来たらいい) のように,<軽い義務・命令>を表すこともあります.

can: 知る → <能力・可能> → <許可> → <軽い義務・命令>

may

may は,「強い,力のある」という意味でした.mighty(力のある)の語源でもあります.そこから,「〜できる」<能力・可能>の意味が生じました.それがやがて,can と同じように「〜してもよい」<許可>の意味を持つようになります.「may=〜してもよい」という日本語訳は,暗記している方も多いのではないかと思います.

さらに may は,Students may pick up the application forms tommorrow. (明日応募用紙を受け取るように) のような文に見られるように,主に公文書や法律文書で,<義務・命令>に用いられることがあります.

may: 力のある → <能力・可能> → <許可> → <義務・命令>

must

最後に must は,元々は「〜してもよい」<許可>の意味でした.それが,現在ではご存知の通り「〜しなければならない」<義務・命令>を表します.

must: <許可> → <義務・命令>

can, may, must の意味の変化の共通点と,その理由

ここで,can, may, must の意味の変化には共通点があることがわかります.すなわち,<能力・可能> → <許可> → <義務・命令>という方向性です.この共通点のおかげでそれぞれが似たような意味を持つことになり,結果我々現代の英語学習者が混乱するというわけなのですが,なぜこのような共通点が出てしまうのでしょうか?


「英語の歴史」では,この理由を,「相手に何かを依頼・要請するときの婉曲表現」によるものだとしています.

相手に依頼・要請するときに,You must do it. (それをしなければならない) のように,<義務・命令>を表す助動詞を用いると,相手の意向を無視して,何かをさせるというニュアンスがあり,丁寧さが最も低くなる.


一方,You may do it. (それをしてもよい) のように,<許可>を表す助動詞を用いると,前もって相手が何かをすることに許可を求めてきたというニュアンスが生じる.その結果,ある程度相手の意向を尊重したことになり,<義務・命令>表現を用いるよりは丁寧になる.


また,Can you do it? (それをできますか) のように<能力・可能>の表現を用いると,相手がそれをできるかどうかと相手の意向を尋ねるだけなので,丁寧な依頼表現となる.

つまり,上記の意味の変化は,それぞれの単語を使って依頼・要請する際の丁寧さが,だんだん薄れていく方向である,ということです.

以上を踏まえると,法助動詞における一連の意味変化は,人に何かを依頼・要請する際,命令口調を避けて婉曲的な丁寧表現を代わりに当てはめたために起こったと推定される.


具体的に言えば,<義務・命令>を表すのに少し穏やかな<許可>の表現を使い,<許可>を表すのに少し婉曲的な<能力・可能>の表現を使ったことで,<能力・可能> → <許可> → <義務・命令>という連鎖的な意味変化が法助動詞に見られるのである.


一般に,「婉曲表現」(euphemism) は,使われていくうちに,婉曲性・丁寧さが薄れていくので,次々に新たな婉曲表現が必要となる.つまり,<許可>を意味した must がしだいに強い<義務・命令>を表すようになると,新たな許可表現として may が導入され,さらに may が徐々に丁寧さを失うと,今度は can が<許可>を意味する新たな婉曲表現として用いられるようになった.


(太字引用者)

いかがでしょうか.それぞれの助動詞を別個のものとして捉えて,意味を覚えようとしていたのが何だか馬鹿らしくなりませんか?


私がこれを読んで思ったのは,「じゃあ,そのうち can の婉曲性が薄れてきたら,別の助動詞が<許可>の意味を持つようになるのか」ということです.will あたりが怪しい気がしますので,また意味を覚え直さないといけません.尤も,意味の変化は何百年単位で起こっていますので,私たちが生きているうちにそうなるかどうかはわかりませんが.


なお,本書にはこれ以外にも興味深い話が満載です.英語に興味のある方には,是非一読をおすすめしたいと思います.

英語の歴史―過去から未来への物語 (中公新書)

英語の歴史―過去から未来への物語 (中公新書)

年を取ると,マルチタスクが苦手になるのはなぜ?

CNNの記事です.

年を取るほどマルチタスクが難しくなる理由


片手に携帯電話を持ち,もう一方の手で引き出しに手をかける.そこでメールが届いたので読む.その後,なぜ引き出しを開けようとしたかを完全に忘れてしまう.こういったことは誰にでもある.20代の人でさえ経験する.これは,脳の自然な加齢に関係しているのだ.


ある新しい研究が,年齢が上がるとマルチタスクをこなすのが難しくなる理由を明らかにした.米国科学アカデミー紀要に発表された調査によれば,年上の人々の脳は,若い人に比べ,中断した後に元の作業に戻るのに,より多くの困難を伴うという.


著者らによると,中断は全ての人のワーキングメモリー(短い期間,モノを記憶しておく能力)に悪影響を及ぼすと言う.研究者たちは,fMRIを用いて,年上の方が中断の悪影響を受けやすい理由について,以前よりも明確な理解を得た.研究では,平均年齢69歳の健康な成人20人と,18歳から32歳の成人22人との間で脳の活動が比較されている.被験者たちはある記憶作業を与えられる.それは別の作業で中断され,その後元の作業に戻ることを要求される.


年上のグループも年下のグループも,別の作業に対してはだいたい同じ程度の注意を向けるが,年上は,別の作業を忘れて,元の作業に関連する神経ネットワークを再構築するのに,より多くの困難に直面するらしい.

Why it’s harder to multitask as you get older – The Chart - CNN.com Blogs


共著者のアダム・ギャザリー博士によると,マルチタスクをこなす能力はだいたい20代か30代から劣化を始めるとのこと.彼のグループでは現在,この能力を改善するためのビデオゲームの研究に取り組んでいるそうです.


なお,ジョンズ・ホプキンス大学医学部のバリー・ゴードン博士は,次のように結論づけています.

「何かをするときは,中断を避けた方が良い.いろいろと手を出そうとするより,一度にひとつの作業をすべきだ.また,試験勉強をするなら,なるべく長い時間をかけた方が良いだろう」

論文のアブストラクトはこちらにあります.

Deficit in switching between functional brain networks underlies the impact of multitasking on working memory in older adults

「絆をありがとう」菅総理から世界の人々へ感謝のメッセージ

震災から一ヶ月,日本政府が,海外からの支援へ感謝の意を表明する広告を海外主要7紙に掲載したとのこと.


キーワードは「絆(きずな)」 - Japan Real Time - WSJ


全文を載せているページを見つけたので,訳してみます.こういう性格の文章なので,普段より意訳多めとなっております.

絆をありがとう


絆:友情による繋がりのこと


未曾有の規模の震災が日本を襲い,かけがえのない何千もの人々*1の命を奪ってから,一ヶ月が過ぎました.現在も,15万人以上の人々が,避難所での生活を余儀なくされています.


津波によって破壊された地域は,食べ物もなく,水もなく,電気もなく,生き残った人々は,助けを求めることもできませんでした.そんな絶望的な状況の中,世界中の人々が結集して,私たちに希望をもたらし,勇気を与えてくれました.


毛布の一枚一枚,熱いスープの一杯一杯が,すべてを失い,寒さに凍え,疲れきった人々に暖かさと体力をもたらしてくれました.レスキュー隊は,積み重なった瓦礫の中,献身的に生存者を探してくれました.医療チームは,休むことなく,傷ついた人々を治療し続けてくれました.


私たちは,今なお,世界中から,数えきれないほどの励まし,祈り,支援を受け取っています.私たちは,世界中の友人が示してくれた「絆」に深く感謝します.そして,私は,すべての国,団体,そしてあなた個人に,心からお礼を言いたいと思います.


再建は既に始まっています.私たちは今,福島第一原子力発電所の状況を安定させるためにあらゆる努力を費やしています.


国際社会の支えと,私たちの努力によって,日本は再生し,より強くなって戻ってきます.そのときには,あなたがたの惜しみない援助に,きっとお返しをさせてもらいます.


そのことを胸に刻みつつ,今,私たちは国家再建に向けて一つになっています.


やがて希望へと成長する,あなた方への深い感謝の念を持って,私たち日本国民は,すべての方々にお礼を申し上げます.


日本国総理大臣 菅 直人


「困ったときの友こそ真の友」

A letter to Tuoi Tre from Japan PM Naoto Kan - Related news - 4/11/2011 - Báo Tuổi Trẻ English

なかなか良い文章ではないでしょうか,と上から目線で言いますが,文中の「私たち(We)」には私個人も含まれていると思いますので.


原発への言及が一ヶ所ありますが,状況の安定化は当然のこととして,情報公開にも力を注いで欲しいものです.

*1:日本語で「何千」というと1万以下の感覚だが,"thousands of"は1万以上にも使う.