ある英語表現がその場に相応しいかどうか,という感覚

日本の中高の英語教育がマイナスにしかならない件について - My Life in MIT Sloan」というエントリを読みました.


ただ,id:trinhさん曰く「英語教育談義は鉄板の釣り堀」らしいので,英語教育談義には触れません.


ちょっと思うところがあったのは,下記の部分です.

日本人が大好きなSo thatですら、超学術的文章でしか使わないそうだ。
私はこっちに来てから、非ネイティブながらチームを代表して文章を書いたり、とよくやらせてもらったが、
So thatは「何それ?こんなの使わないよ」と笑われながら何度も直された。
というわけで、契約とか論文でも書いてるならSo that を使ってもいいが、そうでないならやめましょう。

日本の中高の英語教育がマイナスにしかならない件について - My Life in MIT Sloan

受験英語の「so that 構文」のことを指している部分ですが,どういう場面で,どういう文脈で使おうとされたのかはよくわかりません.


ただ,これが「so ・・・ that 〜 (とても…なので〜)」という構文だとすると,契約(私はほとんど読んだことがありません)や論文(これは普段からよく読みます)以外でも,よく見かける表現です.手持ちの本をぱらぱらとめくっても,事例が見つかります.

He undressed slowly and climbed onto the bed. He was too clean, the sheets were too clean, the mattress was too soft and he threw the pillow onto the floor, but he was so tired that he slept despite the comfort of the bed.

Kane and Abel

I did not know at the time that my mother allowed me to go off with Pranab Kaku and Deborah because she was pregnant for the fifth time since my birth and was so sick and exhausted and fearful of losing another baby that she slept most of the day.

Unaccustomed Earth


こういう事例を知っているので,論文に使うような堅苦しい表現である,という感覚は私にはありません.


一方,so と that の間に形容詞や副詞が入らない用法(id:rhbさんが「日本の中高の英語教育がマイナスにしかならない件について」を読んでみた - はてな読みで,文法的な説明をまとめられています)は,「so ・・・ that 〜 (とても…なので〜)」に比べると,あまり見かけた記憶はありません.*1

なので,堅苦しい表現なのかどうか,正直なところよくわかりません.感覚そのものがまだ培われていないのです.*2


さて,ネイティブ(英語話者)は,その言語を身につける過程で,膨大な,それはもう,私のささやかな学習量などでは及びもつかぬほどの膨大な量の事例を元に,ある英語表現がその場に相応しいかどうか,という感覚を養います.

第二外国語として英語を学ぶ者にとっては,おそらくその感覚を完全に手に入れることは不可能なのでしょう.が,事例を少しずつ積み重ねて,そこに近づこうという努力はしていくべきだと思いますし,多かれ少なかれ,近づくことは可能だと考えています.


そして,たとえば「so thatは普通の文脈では使えないのだ」という知識自体は,人工的に記憶することができます.が,実際に使用して,ネイティブに笑われ,実体験として身につけることは,感覚を養うという意味において非常にプラスに働くのではないかな,と思いました.

*1:私の記憶に無いだけで,実際には普通に使われているかも知れません.ちなみに,先ほどProject Gutenbergでちょっと調べましたが,「シャーロック・ホームズの冒険」や「不思議の国のアリス」や「オズの魔法使い」では,何度か使用されていました.

*2:"that"を省略して "so"一語で済ませた方がくだけている,という程度の感覚はありますが.